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スペインへの服従を拒んだ、フィリピン最初の英雄

スルー地方で語り継がれている伝説によると、ラプラプはマクタン島の領主でイスラム教徒の部族長。スペインの侵略に抵抗した最初のフィリピン人として、フィリピンの国家的英雄の一人に数えられている。

1521年4月27日の朝、ラプラプとマクタン島民は、キリスト教徒への改宗とスペイン国王への朝貢を強要するポルトガル人の探検家フェルディナンド・マゼラン率いる軍隊を迎え撃つべく、各々の武器を手に海辺で待機していた。やがてマゼランの一隊が上陸し、双方の間で激しい戦いが繰り広げられた。これが後世に語り継がれることとなる「マクタンの戦い」である。この戦いにより、マゼランは世界一周を果たす前に命を落とすこととなった。

lapu-lapu_statue_mactan_1997セブの人々はラプラプの功績をたたえてマクタン島オポン市に彼の像を建立し、市の名前も「オポン」から「ラプラプ」に改めた。ちなみに2005年には韓国からもラプラプ像が贈呈されているが、こちらはマニラ市のリサール公園に飾られている。

ラプラプの生涯に関する記録はあまり残されていないが、フィリピンに昔から伝わる伝説に時折登場する。

ラプラプとココナッツの伝説

それは断食の最後の日のことだった。連日の断食で疲れ果て、すっかりやつれたラプラプは、ふらふらしながら断食の修行を終わらせる場所スオンへと向かった。焼けただれた岩々が転がる灼熱の地スオンで魔物と朝から晩まで格闘し、ついに魔物を打ち負かしたラプラプ。

「ラプラプよ」いまわの際に魔物が彼にささやいた。

「私が死んだら、私の体を地に埋めよ。やがて私を埋めた場所から木の芽が生えているのを見つけるだろう。お前の民に栄養と繁栄を約束してくれるその木を大切に育てるがいい。木の実の汁は甘く、果肉は美味い。木の幹から果実にいたるまで、その木の全ての部分が何らかの用途に使えるだろう。」

ラプラプはその言いつけを守り、魔物を埋めた場所から生えてきたその木を大切に育てた。
やがてその木はココナッツと呼ばれるようになったという。

ラプラプと弓矢の伝説

今のラプラプ市がまだ「オポン」と呼ばれていた時代の話。

1933年、オポン市ではフィリピンの英雄ラプラプの記念碑を建てることとなった。早速弓と矢を持った勇ましい姿のラプラプの像が作られ、マクタンの戦いがあったとされる場所に設置されたが、その時、ラプラプの持っている矢は市役所の方を向いていた。

1929年から1933年の間、市長としてこの地を治めていたのはリト・デラセルナという人物だが、どうした訳かラプラプの像が建てられた数ヵ月後に亡くなり、任期を全うすることができなかった。

1934年に彼の後任者として彼の甥のグレゴリオ・デラセルナ氏が市長に就任したが、それから3年後の1937年、任期を終える前に市役所内の彼のオフィスで亡くなった。この時から、「2人はラプラプの矢に射抜かれたのではないか」との噂が迷信深い人々の間でささやかれ始めた。故グレゴリオ・デラセルナ氏の残りの任期を埋めるべく、その後すぐに市長に就任したシメオン・アモディア氏も年内に死去。その後に就任したパスクアル・パタリンフグ氏だけはジンクスを破り、任期が終了する1937年末まで生き延びた。

1938年、マリアノ・ディマタガ氏がオポン市の市長として就任。彼がラプラプの像にまつわる不吉なジンクスを信じていたかどうかは分からないが、就任後直ちにラプラプ像の改装工事を命じ、ラプラプの弓矢は他の武器に置き換えられた。

その後、ディマタガ氏は1968年に引退するまで30年もの間オポン市の市長を務めたという。

参考文献:
1)ウィキペディア
2)The Legend of the Origin of the Coconut and The legend of Bow and Arrow
http://www.geocities.com/Tokyo/Harbor/1320/bbilapu.html