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アヤラ・トライアングルの銅像

マカティ・アヴェニュー(Makai Avenue)、アヤラ・アベニュー(Ayala Avenue)そしてパセオ・デ・ロハス(Paseo de Roxas)が囲む三角地帯はアヤラトライアングルと呼ばれています。

ビルが多く建ち、年々様変わりして行くマカティの金融商業地区ですが、そのアヤラトライアングルに昔からフィリピンの英雄が立っているのをご存知でしたか?

 

Sultan Kudarat
スルタン・クダラット

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ムハマド・ディパトゥアン・クダラット(Muhammad Dipatuan Kudarat)は17世紀前半ミンダナオのスルタンでした。勇ましく、賢く、情け深いクダラットは、史上もっとも強く大いなるミンダナオのスルタンです。ラナオ、コタバト、ダバオ、スルー、サンボアンガそして北ボルネオのイスラム教徒をまとめ、自分の領土を侵略するスペインに激しく抵抗しました。勝利できなかったスペインの総督はクダラットと協定を結び、その結果、数年の平和をもたらしました。彼は恐れを知らない戦士で、フィリピンとイスラム教の信念を守ったフィリピンの英雄です。クダラットは1650年ごろに亡くなりました。

彫刻:ホセ M メンドーサ(1973)

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Gabriela Silang
ガブリエラ・シラン

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スペインへの反乱を指揮した初めてのフィリピン女性は、イロコス・スールのサンタで1973年3月10日に生まれました。2人目の主人ディエゴ・シラン(Diego Silang)が殺害された後、いやがらせに関する規定に反して一郡を指揮した彼女は、女将軍「Generala」という肩書を得ました。しかしながら、劣勢によって逃げ込んだ山岳地帯で捕まり、略式裁判の後、1763年9月20日にビガンで公開絞首刑にされました。

彫刻:ホセ M メンドーサ(1971)

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General Pio Del Pilar
ピオ・デル・ピラール将軍

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デル・ピラール将軍は、リサール州、マカティ、クリクリで1860年7月11にピオ・イシドロとして生まれました。農民からスペインに抵抗する革命家となった彼は、自分の家族を迫害から守るため、後に姓をデル・ピラールに変えました。反スペインのフィリピン人革命家から成るフィリピンの革命組織、カティプナンの「マグタグンパイ(Magtagumpay=勝利や成功を得たと言う意味)」分会を立ち上げ、ビナカヤン(Binakayan)の戦いでカビテの人々を勝利に導きました。

1898年の比米戦では将軍を務め、マカティのグアダルペで戦いましたが、後にマニラのサンタアナで捕まり、その3年後、グアムに国外追放されます。デル・ピラールは1931年6月21日にパサイで亡くなりました。

注釈:Wikipedia には、ピオ・カスタニエダ(Pio Castañeda)として生まれたとありますが、どちらが正しいのかはココでは確認できていません。

彫刻:ホセ M メンドーサ(1972)

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"Ninoy" Benigno S. Aquino, Jr.
「ニノイ」ベニグノ S アキノ Jr.

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エスコートした軍人の目の奥に自分の最後を認めた彼は、「フィリピン人として死ぬ価値はあるのか?」という自らの疑問に対する答えを出しました。

国民のために死ねるということを自ら示した彼は、国民に自由を勝ち取るために立ち上がる勇気を与えてくれました。

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「私は、未知の将来へ、ただ決意と信念を持って、人々に対する信念、そして神に対する信念を持って亡命から戻る。」

ニノイ本人によって発表されることが叶わなかった到着後のコメントより
マニラ国際空港
1983年8月21日

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激しいデモととどろく抗議が起こったアヤラ・アヴェニューは、金融地区を通るただの道路から、国民の想像を駆け抜け、人生のためでなく、宝のためでなく、民主主義のためには何も惜しまないという人々の意思の象徴となった。

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